「信じて、まかせて、待つ」高垣先生のメッセージ、そして遺言ともいえるものかもしれません、みんなが合言葉のように大事にしてきたメッセージ。わかっていても、わかっていても、みんな苦戦してきましたし、苦戦しています。本人も、親も支援者も。だから、つどうのです。一人ではもちきれない思いをもって。地域でよびかけてきました。わたしもしんどい、だから一緒に過ごしましょう、話したかったら話して、ここで。遠慮はいらない、泣きましょう。あのとき、ああいわなければ、こうしなければ、よかったのに。そんな思いをみんな持っている。でも大丈夫、こどもたちは、前をみたり、足元をみたりしながら、ゆっくり、自分のペースで、歩いていくようです。
昨年秋、京都、亀岡で第25回の「全国のつどい」がひらかれました。コロナで延期、延期というなかで、京都でひらきたいという思いが、そしてつどいたいという全国の思いが、後押しをして、開くことができました。待っていた人たち600人が集まりました。その力は、京都のつどいにもつながり、各地で新しいあゆみがはじまっています。そして、「全国のつどい」の再認識は、次の全国世話人会につながり、次の「つどい」をどうする?って考えを推しています。いいですねえ。
今年も夏の教育のつどいで、各地のとりくみが報告されました。親の思い、教師の思い、そして、青年たちの活動。「全国のつどい」は、ここからうまれてきて、今、いろんなとりくみの生みの親になっています。
だけど、登校拒否はへっていない。増えている。登校拒否することは悪いことではない。その子にとって必要なことであったのです。そして登校拒否をしている子どもたちは、自分の命をかけて訴えているのです。学校がおかしい!学校をそうさせている社会がおかしい!と。
今までも、今も、なぜ増えているのか?なぜ減らないのか?必要なことは声をあげなければいけないとおもいます。9月22日から日本母親大会が和歌山で開かれます(同封別紙)。そこで、子どもたちの命を守る、それは、登校拒否をなくすことにもつながるという思いを持って、すべての人の問題であることを訴えたいとおもいます。子どもの権利条約の批准をしながらも、その真意をいかしていない日本の教育に、変化を求めていかなければいけないのではないでしょうか。
(2024.9.12発行)