親の思いや願いから芽生えたもの
1) 「全国連絡会」の誕生まで
“90年3月、京都で開かれた教研集会で「登校拒否”不登校、高校中退の克服」の分科会が特設され3日間でのベ657名の参加者のうち、親が約15%でした。「親の会」からのものも含めて、29本のレボ―トがあり、「登校拒否克服のためには、親たちがまず手をつながなければ」と、まとめでのベられているものがありました。そして最終日に、「全国各地で、父母”…”専門家などが連携してこの問題にとりくむ組織ができて、相互に交流を深められるようになりたい。そんな動きを教職員組合として応援して欲しい」と母親からの発言。
この年の秋、教研中間集会として、登校拒否問題がとりあげられました。
翌年、埼玉での教研集会終了後、全国から10名のよびかけで、「登校拒否”不登校問題父母と教職員のつどい」をもち、17都道府県74名が交流を深めました。「各地の動きが交流できるニュ-スを」「折をみての交流会の開催を」などの声がよせられました。
“92年、和歌山での教研集会終了後にも交流会をもち、「全国連絡会準備会」が発足しました。準備会ニュ-スを8号までつくり、毎年教研巣会開催時に交流をもち、3年後の”95年に「全国連絡会結成のつどい」をもちました。
全教や、教研集会実行委員会の方々に、大変お世話になり、あたたかく見守られながら、「全国連絡会」は産声をあげました。
2) ひとりぼっちで悩む人をなくしたい ‐「全国連絡会」の活動
1年がかりでできた申し合わせには、まず「ひとりぼっちで悩む親や教師がなくなるよう、お互いに支えあい励ましあう」ことをかかげています。個人会員を基本とし、ひとりひとりを大切にと心がけ、ニュ-スなどによる交流を中心にすえた活助を続けています。
この”4年問でニュ-スを22号まで発行できました。そして、父母・教職員・専門家をはじめ、この問題に関心のある方々と手をつないで、教育を良くするための行動にとりくむことを申し合わせ、日本母親大会実行委員会、子どもと教育・文化を守る国民会議日本の教育改革をともに考える会(“97~”99)、子どもの権利条約市民”NGO報告書をつくる会(“96~”98)に団体として加盟し、積極的に参加してきました。
「全国連絡会」は、これまでの「組織」らしくない、ひとりひとりの思いを大切にして、つながりをていねいに創りあげる組織づくりを目指してきたように思います。登校拒否の子どものことで悩んでいるものどうしが、お互いを支え合い励まし合う自助グル-プとしての役割を持ちながら、お互いの気づきあいや、実践や理論から学ひ合う学習集団でもあり、ともに考え行動する運動体としての側面も持っているといえます。
3) 学びあおう、語りあおう、子供たちをまん中に
‐「登校拒否・不登校間題全国のつどい」のはじまり
子供たちは、現在の日本の社会、とくに教育をめぐる根本問題を、登校拒否というかたちで私たちに提起しているとみられます。根源は共通していますが、登校拒否のあらわれ方はさまざまであり、目の前の課題は多岐にわたっています。教研集会や教育科学研究会大会の分科会だけでは、語りつくせない、十分に深めることができない、そして親どうし、もっとゆったりと本音の交流をしたい。そのために、この問題で親が主体的にかかわることができる全国集会を持ちたい、持つベきであるの声があちらこちらからでてきました。
こんな声を耳にして、全国連絡会の事務局を引き受けている大阪の「会」では、自分たちのカ量からみて時期尚早の意見もある中で、”96年3月の近畿ブロック会議で、私達の「全国のつどい」を持とうと決めました。当初は宿泊100人、全体で200人規模の「つどい」を想定したスタ-トでした。全国規模の集会に、主催者として取り組むのははじめての親たちが、とまどいながらも動きだしました。
手づくりで、手さぐりで真夜中まで走りまわって準備をしました。ふたをあけると、600人もの方がいらっしゃってあわてましたが、参加者ひとりひとりのカにたよって、はじめての「つどい」を終えた時、「やってよかった」と感じました。
しかし終わった時、「来年もやるとは決めない」といいあっていました。
ところが、”97年1月の全国世話人会で、今年もやると決まり、近畿を中心に全国実行委員会をつくって取りくむことになり、第1回目の「つどい」で十分にできなかった分科会づくりに、もっと力を注いで充実させたいとの思いから、1回目を経験した者たちがしっかりかかわろうと思いました。実行委員会には関東からも参加してもらい、回を重ねるごとに実行委員の人数が増え、輪がひろがって行きました。
そして、1回目の経験を基に積み上げるかたちで、分科会や交流会づくりに力を注ぎ、より深く話し合え、あたたかいものが残りました。2年続けての大阪で開催し、準備にかかわった者たちの中に登校拒否・不登校問題のとらえ方がより深くなり、仲間の輪が広がっていくことを実感でき、自分たちの確信・自信につながりました。そして3回目は、大阪以外の地で出来るはずだし、そうしなけれぱ「全国連絡会」としての「全国のつどい」の発展はないと考えました。
1999年度 教育研究全国集会 第25分科会 (団体49)
「登校拒否・不登校問題 全国連絡会」報告 より引用