穏やかな春の日差しのなかで、今年はいつもとは違う光景に出会いました。
世界中で感染が広がっている新型コロナウイルスで新学期が始まっても「休校」が続き、学校も町全体も息をひそめている感じがします。「緊急事態宣言」「外出自粛」等々の今まであまり使われない言葉が、連日、マスコミから流れています。
宇宙から見ると小さな星の一つでしかない地球が、地表でも地中でも、大きく動いています。人間という生き物が、欲望を満たすために好き勝手なことをしてきた「つけ」が今の現象ではないでしょうか?本当に人間の歩みは「進化」しているのでしょうか?
今まで普通であったことができなくなる「不安」、いつまで続くのか、見通しがつかない「不安」。これはまるでわが子が不登校になった頃の、親の気持ちと同じではないでしょうか。「保障」が見えない「自粛」がより不安を増しているとも思います。敏感な子どもたちは、大人たちより早く感じている。今、問われているのは何なのか、改めて一緒に考えてみたいと思います。
このような状況から、今年の「第25回登校拒否・不登校問題 全国のつどい㏌京都・宮津」は開催中止を4月の実行委員会で決めました。今年の実行委員会が始まったばかりの段階で、今まで経験したことのない決断をしましたが、でも「桜の花なら三分咲きのつどい」という文章に表れているように、諦めたのでも歩みを止めたのではなく、続けていくということに、心強さを感じています。
全国各地から自分の意志で手弁当で、「全国のつどい」に集まる人々のつながりは切れるものではありません。これは私たち自身が積み重ねてきた25年の歩みです。この機会に世代が変わっても残しておきたいものは何か、大事にしてきたことは何かを考える時間を与えられたと思います。
全国どこに住んでいても、わかりあえる人々とつながっていることは、今の時代だからこそ必要なことではないか、私たちは安心できる関係をつくる基本を学んでいると思います。
登校拒否・不登校をしている子どもたちは、大人たちに「宝もの」を残してくれていると感じる日々です。みなさん、ご自愛ください。
(2020.04.24発行)