登校拒否・不登校、35万人を超えたという。フリースクールにいっていたり、学校のSSR(スペシャルサポートルーム)に来ている生徒は出席になっているから、この数にはいっていない。いったいどれだけの子どもが、学校にいきたくないとおもっているのだろうか。文科省をはじめ各教育委員会は、この数を減らしたくて、必死になっている。
登校拒否・不登校の子どもたちは学ぶことがいやなわけではない。学校がいやなのである。将来困らないように、ということばのもとで、子どもたちは勉強を強いられている。そこには競争の原理がある。競争して、勝とうと思わなければ勉強の意味がないように思わされている。自分をより高みにもっていこうとすることは悪いことではない。大切なことだと思う。それは自分自身との闘いである。闘いではなく楽しみであるともいえる。学ぶ楽しみ、それは競争ではない。現在、国立大学は法人化され、結果の競争にさらされている。私立学校はさらに厳しい。そう考えると、教育虐待がすべての学校でおこっているのではないだろうか?もちろん、すべてではないかもしれない。しかし、全国統一テストが常態化し、教師はその点数を上げることに四苦八苦している。また、学習指導要領の中身が、どんどん難しいことを要求するようになっている。今号に掲載している全国世話人会での越野さんの講演(p1-8)で、不登校数の推移を、学習指導要領の変更と重ねてみる資料があった。ゆとり教育といわれた時期は不登校が少なかったのがはっきりわかった。
不登校がふえるのはあたりまえである。競争のなかで、子どもたちは優しくされない。いつも叱咤激励される。本来、自分の学びの向上を楽しむべきなのに、順位に左右されるばかりの毎日。友人に勝て!としか言われないとしたら、どうして協力の思いがでてくるだろう?いじめはそこで起こっている。常に競争にさらされていると、人を思いやる余裕など生まれてこない!
人はされたようにする。優しくされれば、人に優しくできる。でも学校で優しくされることはない!学校は学業を学ぶ場所でもあるが、集団の大切さを学ぶ場所でもある。不登校の子どもを持つ親の心配は学業だけではない、人と交わる機会が少ないことも大きい。でも、学校は、今、優しさを教えてくれない。先生たちも、競争させられ、ボーナスに差がつく仕組みになっている。先生たちの気持ちにゆとりがなければ、優しく子どもに接することはできない。教育現場にゆとりを取り戻すことが大切と、それが本当の学びだと、不登校の子どもたちはおしえてくれているのではないだろうか。そのために私たちにできることは何だろう?考え、行動したいと思っている。
(2026.4.21発行)
